浜田省吾ヒストリー① アルバム「生まれたところを遠く離れて」
先日、浜田省吾さんについて、自分の想いを集約して、やっと記事にすることが出来たので(笑)
その勢いに乗って、新たに「浜田省吾さん」のカテゴリーを設けてみました(*^▽^*)
それに伴って、このカテゴリーの更新頻度も多くなってくると思うのですが。
浜田省吾さんに興味のない方々にとっては、それは拷問でしかなく(笑)
だいぶマニアックで、オタッキー的な世界のカテゴリーでもありますので(笑)
鬱陶しく感じられる方は、遠慮せずにスルーしちゃって下さいね<(_ _*)>
というわけで今回から、自分の覚書にもなるよう
改めて省吾さんの歴史を振り返ってみることにしました。
省吾さんがプロの世界に入ったキッカケは、同じ広島出身で地元で交流のあった吉田拓郎さんから
オーディションを受けて、いきなりデビューするよりも、まずはバックバンドをしてみないか?と誘われて
1年間バックバンドを務めたことが音楽界入りするキッカケでした。
その時にプロのステージを経験したことは、きっと大きな糧になっていたと思うんですが
その後、共にバックバンドを務めていたメンバー4人で
「愛奴(あいど)」という名のバンドで、メジャーデビューしたんですね。
そのメンバーの中には、今も良きバディーのような存在になっていて
省吾さんのライブには欠かせない、公私ともに省吾さんを支えてくれているギターリストの町支寛二さんや
省吾さんがホリプロをやめたのちに、起ち上げた今の個人事務所の社長を務めている高橋信彦さんがベース担当として在籍していました。
ちなみに、省吾さんはドラムを担当していたんです!
あまり、ドラムというイメージがないですけれどね(^-^;b
そんな風に一度は、バンドデビューしたものの
段々とメンバーの間で音楽性の違いが出てきてしまい、このままダラダラ続けても良くないと考えて、潔く解散してそれぞれの道を歩み始めたました。
省吾さんは、もともとビートルズや、ボブ・ディラン、ジャクソン・ブラウンから影響を受けて、音楽の世界で生きることに憧れ
ロックミュージックをやっていきたいと思っていたので
ソロのロックミュージシャンとして、デビューすることを決めたんです。
そして
シングル「路地裏の少年」
アルバム「生まれたところを遠く離れて」でソロデビューしました。
「路地裏の少年」というと、いまでこそ、ある程度知られる歌になりましたけれど
最初は鳴かず飛ばずで、意気揚々と勇んでデビューしたものの
出鼻をくじかれた状態になってしまったんですよね。
省吾さんの自伝的な歌で、歌詞を聞いているだけで、その光景が手に取るように伝わってくる良い歌ではあるのに。
その後、時を経てから評価されるようになりましたけれどね(*^。^*)b
今では、必ずライブで歌われている歌でもあります。
ここが省吾さんの原点でもありますしね!
このアルバムじたいも、省吾さん自身が粋がり過ぎているのがわかる感じで
つっぱった歌い方をしていて、荒々しさを全面に出しているんですが
それとはギャップのあるセンチメンタルなバラードもあったりして
感情が一定しない世界観に、省吾さんの若さや青さを感じ取ることができます。
おそらく、省吾さんのアルバムの中で
このアルバムだけが、一瞬異色に聞こえるアルバムかもしれません。
私は、このアルバムを初めて聞いた時は、少し苦手だなと感じて(;'∀')
あまり聞いていなかったんですよねぇ。
省吾さんのロックに対する熱い想いを知っていくうちに、聞けるようになったんです。
ある意味、生きることってロックなんだなぁ~っと感じさせられたアルバムでした。
アルバム収録曲は
- 路地裏の少年
- 青春の絆
- 朝からごきげん
- 雨上がりのぶるーす
- 悲しい夜
- 街角の天使
- 壁にむかって
- HIGHSCHOOL ROCK&ROLL
- 生まれたところを遠く離れて
- とらわれの貧しい心で
個人的に、このアルバムの中で、良いなと思う曲は
- 路地裏の少年
- 悲しい夜
- 壁にむかって
- 生まれたところを遠く離れて
- とらわれの貧しい心で
そして省吾さんは、このアルバムについて、こんな風に語っています。
これを作って本気で音楽をやる。そう思ってました。
ファーストアルバムだけでも作れるなんてラッキーじゃないかっていう感じだったから。
あっちこっちにデモテープを持って行ったけど、ヘビーすぎて売れないとか言われて事務所も見つからなかったし。
1番思い出に残っているのが、ジャケットに足だけ写っているディレクターだった蔭山さん。
彼の情熱に支えられて、このレコードは出来たんですね。
彼は絶対と言っていいくらい僕を信じていたからね。
絶対に成功するぞ、日本に絶対こんなシンガーソングライターはいないぞって。
僕には励ましのつもりで言ってくれたのかもしれないけど、テープをレコード会社とかあっちこっちに持って回ってくれて。
このアルバムを聞く度にあらためて感謝したい人のひとりです。
彼がいなかったら、たぶん僕のデビューはなかったと思う。
ただ、僕は当時、すごく若くてとんがってて、なぜ自分は成功しないかということばかりにとらわれていたから、その頃は感謝の気持ちが持てなかったんですね。
(著書「浜田省吾事典」より)
成功したいがあまりに、感謝する気持ちも忘れていて
己の野心だけに囚われてしまう時って
やっぱり若い頃って、特にありますよね。
省吾さんにも、そんな風に自分の気持ちに余裕がなかった時もあったことが、伺えるエピソードでした。
ここから、まだまだ苦節時代は続くことになるんですけれどね・・・・。
そのお話は、また次に続きます(*^_^*)