尾崎豊「卒業」
今の時期は卒業シーズンですね。
この時期になると、毎年頭に浮かぶ歌があります。
私の世代だと、たぶんほとんどの方が、そうだと思うのですが。
その歌というのが…。
尾崎豊「卒業」
この歌はヒットしましたよね。
そして、ミュージシャン「尾崎豊」という人を、世に知らしめた歌でもありました。
当時、歳が近かった私の中で、彼は彗星のごとく音楽界に舞い降りてきた「若き天才ミュージシャン!」という印象が残っています。
歌詞の書き方や、その独特な歌い方が、とても新鮮に聞こえてきたものでした。
そして、この歌はそれまでの卒業ソングにはない斬新な切り口で、異彩を放っていて
若者達の心を一気に掴んで、彼をカリスマへと導いたキッカケになった歌だったような気がします。
彼自身の心の叫びを、ありのままに綴った歌詞が受けて
同世代の若者達の琴線に触れて、そのリアルさが共感できて支持され始めたことを覚えています。
特に10代という多感な時期は、大人や社会への反発心が1番強い時期でもあり
同時に些細なことに傷付き、不安になったり不信感を抱いてしまう年頃でもあり
尾崎豊さんの放つ言葉は、自分の気持ちを代弁する言葉にもなったんだと感じます。
でも、実際に大人になって社会に出ても、この歌詞の内容って
ずっと心の中に抱え続けることなのかもしれないと
自分自身、ずいぶん歳を取ってしまった今でも感じたりします。
特に、この歌詞など↓
「やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
生きるために計算高くなれと言うが
人を愛す まっすぐさを強く信じた
大切なのは何 愛することと
生きる為にすることとの区別迷った」
「卒業して いったい何わかると言うのか
想い出のほかに 何が残るというのか
人は誰も縛られた かよわき子羊ならば
先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
これからは いったい何が俺を縛りつけるだろう
あと何度 自分自身卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう」
「仕組まれた自由に 誰も気づかずに
あがいた日々も終わる
この支配からの卒業
闘いからの卒業」
人は歳を重ねるごとに、その歳になったなりに何かしらの壁にぶつかって
その都度、↑の歌詞のように葛藤しては、迷い足掻き続けていると感じます。
結局、人はずっと何かに支配され続けていますものね。
その何かの正体というは、最終的には自分自身の尽きない欲望なのかもしれません。
終わりなどなくて、卒業することなどないのだと…。
本当に「あと何度自分自身卒業すれば、本当の自分に辿り着けるだろう?」
というのが実情なんじゃないかなぁっと感じます。
この歌は、単に学校というシステムから卒業するという歌ではなくて
自分自身の欲望との闘いからの卒業を歌っている気がしてならないのは
私だけなのかもしれませんが…。
ただね。
尾崎豊さん自身、彼はあまりにも感受性が強すぎて、もろくてナイーブなあまり
それを理解して深い愛情で受け止めてほしくて、母なる愛をもって接してほしいと望み
周囲にいる人達に対して、まるで踏み絵を踏ませるような依頼をしては、無償の愛を求めすぎたがゆえに
皆、それを受け止めきれず離れていくようになり、最終的に孤独になってしまった
そんなエピソードを知ると
彼もまた、ずっと自分自身の尽きない欲望との闘いから卒業できずにいたのかもしれないと感じたんです。
悲しいサガだなと思うのですが、天才ゆえに人一倍そういった想いが強すぎて苦しんだんでしょう。
卒業シーズンになると思い出す歌ではありますが
人生を振り返ると、節目節目で小さな卒業をしながらも
まだまだ、この先も卒業すべきことがあるのだと感じられる歌でもあります。
っということで、今回は私なりの解釈をしながら聞いたりしていた
尾崎豊さんの「卒業」についてでした(*^_^*)