【第三弾・中森明菜】70年代~90年代を代表する5人の歌姫たち(山口百恵・松田聖子・中森明菜・安室奈美恵・浜崎あゆみ)
ただ綴りたいというだけで、自己満足でスタートした特集《歌姫シリーズ》
第二弾の昨日は、松田聖子さんについてでした。
3回目の今日も、前回に引き続き80年代にデビューした
歌姫について綴っていこうと思います(*^▽^*)
80年代の歌姫
百恵ちゃんが引退宣言をして、芸能界から去る1980年にデビューし
「ポスト百恵」として早くもその座に君臨した聖子ちゃんでしたが
その2年後に、聖子ちゃんの最大のライバルとなっていく人物
中森明菜さんが芸能界に現れるのでした。
1980年代は、アイドルの当たり年で全盛期と呼ばれる時代で
新人が次から次にデビューしては、互いに鎬を削っていたんですよね。
最初はその中の1人として、明菜ちゃんは存在していました。
★中森明菜★
明菜ちゃんは、お母さんが歌手になりたいと言う夢があり
そのお母さんの果たせなかった夢を叶える為に歌手になろうとしました。
同時に百恵ちゃんに憧れていた明菜ちゃんは
百恵ちゃんがデビューするキッカケになったオーディション番組
『スター誕生』のコンテストを、何度も何度も受けては落ちて
やっと三度目の正直で、百恵ちゃんの「夢先案内人」を歌って
同番組の史上最高得点を獲得して合格するのでした。
そして
1982年5月に「スローモーション」でデビューしました。
同期のアイドル歌手の中では、断トツの歌唱力があり
デビュー曲も、歌唱力がなければ歌いこなせないんじゃないか?
っと思える難しい旋律のバラードでした。
でも、それ程ヒットしなかったんですよね(A´・ω・)フキフキ
そこで、事務所の売り出し方針が変わったのか?
セカンドシングルは意表を突くかのように
デビュー曲のイメージをガラっと変えて、ツッパリソングで挑んだところ
これが爆発的にヒットして、一気に明菜ちゃんの名が世に知れ渡り
先に売れていた聖子ちゃんと肩を並べる程の人気を集めたのです。
「明菜ちゃんってベビーフェイスなのに、大人びた雰囲気がある」
そのギャップが、また魅力になって良かったんでしょうね(*ˊᗜˋ*)b
声質も百恵ちゃんと似ていたりして
百恵ちゃんを彷彿させるところもありました。
そういうこともあって、私は明菜ちゃんに憧れて
ヘアスタイルも服装も真似した方だったんですよ(〃'∇'〃)ゝエヘヘ
サードシングルも、このままツッパリ路線で行くのかと思いきや
いい意味で予想を裏切るかのように、次のシングルはバラードで
しかも一途で切ない乙女心を歌いあげ
明菜ちゃんの表現力の豊かさも、世に知らしめるようになりました。
そして明菜ちゃんは、何事も他人任せに出来ない性分でもあり
新曲を出すたび、全て自分で振付も衣装も考えていたんです。
センスがあってオシャレで、毎回目を見張るような衣装でした。
「禁区」「十戒」「サンドベージュ」
斬新で歌の世界観にマッチした振付と衣装でしたねぇ💛
尚且つとてもストイックな人で
些細なことまで納得いくまで取り組むタイプだったので
適度な加減が出来ない分、神経をすり減らしてしまう部分がありました。
性格も繊細でナーバスになりすぎて壊れてしまうんじゃないか?
っと感じられてくる面もありましたね。
何度、人前で歌ってきていても
毎回緊張して手や体をガタガタ震わせたりしていて
張り詰めた糸が切れてしまうような危うさもあり
返って、それがまた「破壊の美学」として
評価されてしまう部分もありましたけれどね。
そんな明菜ちゃんは歌手活動だけでなく、女優業にもチャレンジしますが
「私は、2つの物事を器用に両立できる方ではないので
お芝居のお仕事がある時は、歌のお仕事は控えさせてもらいます」
っと言って、ドラマや映画の仕事が入った時などは
特に生放送の音楽番組はお休みされてたんですよね。
真面目なんだなって感じました。
初めて女優として挑んだ作品は
1985年1月に公開された近藤真彦さんとW主演の映画『愛・旅立ち』でした。
その後も新曲を出せばトップテン入りするのが当たり前な状況で
1985年3月に発売した「ミ・アモーレ」と
1986年2月に発売した「DESIRE~情熱」は
2年連続でレコード大賞で大賞を受賞したんです(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ
これは快挙でしたねぇ。
当時、演歌歌手の方以外で
しかもアイドルで大賞を受賞するという事って有り得ませんでしたからね。
2年連続というのはありませんでした)
その後、トレードマークだったロングヘアをバッサリ、カットして
ワンレンにした時には、以前に増して魅力に磨きもかかり
ファッションリーダーとしての注目度も、更にアップしていきました⤴
1986年4月にはドラマ『人間交差点~ベストフレンド』にも出演されて
これからの活躍も期待されていたんですよねぇ。
そうやって順調に芸能活動は続くものだと思っていたのですが…。
1989年7月に、ニュース速報で「中森明菜・自殺未遂」という報道が流れた時には、耳を疑うくらい驚きました。
当時、お付き合いされていた近藤真彦さんの住居であるマンションで
明菜ちゃんは衝動的に手首を切ってしまったとのことで…。
理由の真相については、あれこれ噂は流れていますが
実際のところ、明確には報道されてはいません。
でも、よく「難破船」を涙を流しながら歌っていたのを思い出すと
色々と悩んでいたのは確かだったんでしょうね。
しばらく、明菜ちゃんは活動を休止しますが
その年の大晦日に、近藤さん同席の元、緊急記者会見が行われて
巷で「金屏風事件」と囁かれているように
婚約会見かと見せかけておきながらの
明菜ちゃんが世間をお騒がせした謝罪会見となりました。
これ、ちょっと見てて明菜ちゃんが可哀想でしたねぇ…(´;ω;`)
でも、海外で1年ほど休養&復帰の準備をされて
1990年7月に「Dear Friend」で復帰された後は
1992年4月に出演した連ドラ『素顔のままで』が大ヒットし
その後もカバーアルバムを発売すれば好評で売れ行きも良く
1998年1月にはドラマ『冷たい月』
1999年1月にはドラマ『ボーダー犯罪心理捜査ファイル』
2006年4月にはドラマ『プリマダム』
に出演されて、歌手としても女優としても
順調に再起されているように思えたんですよね。
けれど徐々に体調を崩していき
2010年10月に芸能活動の無期限休止を発表すると
またしばらく表舞台に姿を現さなくなってしまいました。
そういった中で、ほんの数分だけ中継での出演ということで
2014年の大晦日に「NHK紅白歌合戦」にサプライズゲストとして新曲を披露してくれましたが…。
その後は、年末に開催されるディナーショーを数回開催した後
2016年以降は、体調が安定せず、そのまま活動休止された状態です。
歌も上手くて、センスも良くて、色んな才能ある人だったので
とても残念に感じるんですけれどね。
人間不信に陥ってしまったところもあるようですし
こればっかりは難しい問題なんでしょうね…。
ファンとしては、もう一度、明菜ちゃんが歌ってる姿を見たいですけれど
ガラス細工のように、とても繊細な心を持つ明菜ちゃんにとって
芸能界は過酷で残酷な世界かもしれないですよね。
ただ願うのは、今現在
明菜ちゃんが心穏やかに暮らせていれたら良いなぁっと言うことです。
っということで、今回は明菜ちゃんについてでしたが
次回は、次世代の歌姫として輝いた90年代の歌姫の1人
安室奈美恵さんについて取り上げたいと思っています☆d(o⌒∇⌒o)b ★
安室ちゃんも、百恵ちゃんのように
自身の思うところがあって潔く引退した歌姫でしたよね!
では、また(o'∀'o)ノ★゚。+。☆