ON THE ROAD~プチひきこもりの明日に架ける橋

バツ2の私が経験を元に、色々綴っています

迷いと決断「先天性脳動静脈奇形が発覚した後に決断した離婚」

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今日は「迷いと決断」をテーマに、記事を綴ってみることにした。

 

今までの人生の中で、迷いながら決断してきたことは沢山あったけれど

だいぶ長いこと悩みつつも、なかなか決断できずに

優柔不断のまま、行動に移すことが出来なかったのは二度目の離婚だった。

 

二度目の夫は、前夫とは違い

手をあげたり支配下に置くような人ではなかったし

何より夫よりも7歳も年上で、大きな連れ子を2人抱えている私ことを

支えようとして頑張ってくれようとしたことには感謝をしていた。

 

ただ、唯一の欠点で「浪費癖とキャッシング癖」が彼にはあった。

それは再婚してから、徐々に判明してきたことだったのだけれど。

収入の範囲内で身の丈にあった買い物の仕方をしてくれていたならば

まだしも

どんなに借金を抱えている状況であっても

彼は欲しいと思うと、欲しい物を手に入れずにはいられない性分で

私が家計簿を見せて「今は、そんな余裕ないでしょ」っと

何度説明して聞かせても、色々な理由を作っては

私が根負けするまで粘って、押し通してしまう人だった。

 

昔、若い頃に営業の仕事でトップの成績をおさめたこともあったような夫だったゆえ

人がどうすれば堕ちるかというのも、よくわかっていたのだろう。

 

よく彼が使っていた言葉には「子供達のために」と言う言葉もあった。

そんな言葉を言われたら、子供達のためになら仕方ないかと思ってしまう。

でも、蓋を開けてみれば、子供達のためではなく

ただ夫自身が欲しいだけの物だったっというのが真相だったりした。

 

猫を飼うようになった時も、以前から彼が自分の子供が欲しいと言っていて

なかなか出来ずにいたこともあり、諦めていたので

せめて子供代わりになる猫が欲しいと訴えてくるものだから

猫を買う余裕もなかったけれど

私も産んであげれない負い目も感じて、承諾してしまったところがあった。

(まぁ、猫に関しては、その猫が今私の癒しと支えになってくれているので

その時に飼って良かったとは思っているけれど)

 

そういう調子で、夫は人の弱味につけこむのも巧かった。

その繰り返しで、夫の浪費癖を直すことも出来なかったため

夫が浪費する分も頭に入れて

私が働いてフォローして穴埋めしていくしかなかった。

 

時折、疲れ果てて、何度か離婚も考えたけれど

「もう後がないしな」っとか、「バツ2になるのも避けたいしな」っとか

そんなネガティブな発想しか思い浮かばなかったため

ただ、とにかく今ある借金を減らすしかないと

そう思ってバツイチの頃のように、また夜も水商売したりしていた。

 

 

そして私がコンビニに商品を配送する運送会社の事務の仕事をしていた時に

それは突然起きた。

真夏の暑い日々が続いていた時期だった。

当時、社内は節電のために30℃にならない限りエアコンは使用できない状態だった。

気温計では30℃に達していなくても

電気機器も沢山置いてある事務所の中は、かなりの温度になっていた。

暑さのせいで朦朧としながらパソコンに向かいながら作業をしていたら…。

 

急に左側の頭部がヒヤ~っと冷たくなったと思ったら

一気に左半身が麻痺して

自分の意志ではどうにも動かせない状態に陥った。

再婚して以降、お金のストレスで

自律神経失調症を患っていたこともあったので

一瞬「また自律神経の乱れのせいかな?」っとか

「暑さのせいで何か神経が敏感に反応したのかな?」っとか

それくらいにしか受け止めず

とりあえず右手が使えれば作業は出来るしと想い

そのままの状態で仕事を続けていたら

30分くらいしたら左半身の感覚も戻ってきたので

その時は、あまり重く感じずに流していたのだけれど

 

それが翌日も起きたので、これは脳に何か異常があるのかと思い始めて

ネットで脳の病気に関することなど調べて

脳虚血発作など起こしているのかもしれないと考えて

脳外科を受診して、CTやMRI検査を受けることになった。

すると、思ってもいなかった診断が下された。

 

「あなたの病気は先天性脳動静脈奇形です」

 

それは初めて聞く病名でもあり、今まで生きてきていて

特に何もなかったため、先天性の病気と言われてもピンとこなかった。

そして、左半身の麻痺はてんかん発作であるという。

てんかん発作に関しても、それまで、そんな発作も起こしたことがなかったため

全てが狐につままれたような状態だった。

 

ちなみに先天性脳動静脈奇形というのは

↓こういった病気で10万人に1人が発症する病気で

脳出血を起こすことで発覚するケースと

私のように、てんかん発作を起こしたことで発覚するケースに分かれるようだった。

そして、その奇形の血管が破裂する確率は年に2~4%。 

 

脳血管の動脈と静脈が毛細血管を介さず異常吻合を生じている先天性疾患。

胎児(約3週間)の時期に発生する先天性異常(生まれつきの病気)

 

動脈と静脈が直接つながっているため、高い血圧と血流による血管の負荷で血管が破綻し、脳出血クモ膜下出血を生じる疾患。

重い後遺症を残したり、死に至ることもある。

 

www.twmu.ac.jp

 

ダイナスという異常な血管の塊があるわけだけれど

↓私の場合は、それが運動機能を司る右大脳にあった。

MRIなどでは逆に映るため、画像で見ると左右反対に見える)

f:id:bluesky-18-tt:20190601193955j:plain

 

治療法は

  • 開頭による脳動静脈奇形摘出術
  • 血管内治療(塞栓術)
  • 集中放射線療法(ガンマナイフ)

以上の3種類あったけれど

 

私の場合、ダイナスの大きさと、ダイナスのある場所が悪かった。

下手にメスを入れると半身不随になるリスクの方が高すぎて

開頭手術も、放射線によるガンマナイフによる手術も

どちらもリスクだらけで、敢えて治療する気にはなれなかった。

血管内治療に関しては、根治できる確率は全体の10%程度なため

あまり意味がない。

 

その際にも「迷いと決断」があったわけなのだけれども。

結果的に、経過観察を希望して

てんかん発作を抑える薬のみ処方してもらう方向で

定期健診を受けることに決めた。

 

 

自分の身体が、そんなことになり

どんなに夫が借金を増やし続けていても

そこから抜け出して、1人で生きて行くことは無理なんだと思った。

てんかんにもなり車の運転も禁止され、他にも行動の制約が多くなり

身動き取れない状況に追いやられてしまったと思っていた。

 

この先、経済的にとことん追い込まれた時には

夫と共倒れする道しかないんだっと想い

希望を失って、まるで死んだように生きていた。

 

息子は、すでに独立して家庭を持っていたので良いけれど

娘は、まだ一緒に暮らしていたから

私が離婚をしたら娘も行き場がなくなると思うと

どうしたら良いのか迷うだけで何も出来ずにいた。

 

 

そんなある日

また夫が、今度は我が家としては出費が大きすぎる買い物をしてしまった。

車のタイヤだったのだけれども。

それ以前にホイールを新調したばかりだったのに

車を買い替えたりしたということもあり

ほとんど夫自身の見栄や自尊心を満たすだけの買い物の連続で

私が働けない状態でありながらも、将来のことも考えずに

借金返済を後回しにして、そんな意味のない浪費ばかりされ続けられて

とうとう、私も堪忍袋の尾が切れてしまい

こんな身体になって先行きの不安もあったけれど

夫と一緒に居続けるよりは、他に何があっても、そっちの方がマシだと想い

夫に離婚したいことを申し出た。

 

すると夫は「もう、俺も疲れたよ」と言い出した。

好き勝手なことばかりしてきたくせに

何言っているんだ?っと思ったの同時に

全く自覚できていない夫の姿を見て

私の決断に間違いはないと感じられた。

 

そして、やっと決断できたことを子供達に伝えると

息子と娘も話し合ってくれて

息子が仕事の事務所代わりに使っている

東京に借りているアパートがあったので

そこで一旦娘は暮らすことにして

私は実家に間がいさせてもらうことになった。

そんな風に話が決まると

息子は、すぐさま引っ越しの手配をしてくれて

引っ越し費用も負担してくれた。

 

子供達は、長い間、私が決断して

実際に行動に移すのを待っていたようだった。

いつまでも思い悩んで迷うだけで

決断できなかった私の弱さも見抜いていた。

 

行動に移すことの大切さは、それまで生きてきた中で経験してきていて

分かり切っていたことだったのに、いつの間にか私はそれを忘れていた。

色々患ってきてしまった病いが、私を弱気にさせていたことに気付いた。

 

脳の血管が、いつ破裂して出血するかビクビクして

臆病になって動けずにいた自分が情けなく感じた。

いつ死んでも悔いのない人生を送れるなら、その方がいい!

っと覚悟を決めたら、勇気と希望が湧いてきた。

 

そして第3の人生を歩み始めたわけだけれど。

離婚後は手あたり次第、会社の面接を受けまくって

肉体労働的な仕事だったけれど、とりあえず仕事に就くことが出来て

必死で働いて、1人暮らしする資金を貯めることが出来た。

こんな身体でも、やれば出来るじゃん!っと思った。

 

その自信が、また私に1人で生きる勇気を与えてくれた。

そして、今は諸事情があって療養生活を送っているけれど

決して後ろ向きな状況ではない。

夫とのあの先の見えない生活を思えば

全然、今は心穏やかに暮らせている。

 

あの時に不安を抱えながらも、決断した結果がここにある。

最後に笑えれば、それで良いんだ。

↓この歌のように。

 

bluesky-18-tt.hatenablog.com

 

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