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バツ2の私が経験を元に、色々綴っています

浜田省吾ヒストリー⑩ アルバム「J・BOY」

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浜田省吾さんの歴史を振り返るコーナー。10回目は…。

 

アルバム「J・BOY」

 

J.BOY

J.BOY

 

 

このアルバムは、省吾さんが

世間に、その存在を大々的にアピールしたアルバムになりました。

初めてオリコン・チャート1位を記録して

4週に渡って、その座をキープし続けたアルバムになったんですよねぇ。

 

全くテレビなどのメディアに露出もせず

ライブ活動しかしていない省吾さんのアルバムが

まさかの連続4週1位という現象をもたらしたことは

ファンである私もビックリだったのですがΣ(・ω・ノ)ノ!

 

このアルバムがキッカケになり

元々の省吾さんのファンのみならず

他の方々からも注目を浴びることになり

それまで省吾さんの存在も歌も知らなかった人達が

こぞって聞いたアルバムになったんです。

なので、他のシングル盤を知らない人達でも

このアルバムに収録されている歌だけは知っている方々も多いです。

 

そして、このアルバムの特徴は『2枚組』というのもありました。

アルバム1枚に10曲くらいしか収録できないので

ストックしてあった曲であったり

前回のアルバム以降に、発売したシングルなども入れたいとなると

2枚組になってしまったようでしたけれどね。

 

このアルバムを発売する前には

その間に

シングル「LONELY~愛という約束事」

ドラマ『華麗なる誤算』の主題歌になった

「BIG BOY BLUES」も発売していてね。

 

その「LONELY~愛という約束事」のB面

「もうひとつの土曜日」という曲で

その曲が、結構ヒットしたんですよ(*^^*)b

 

省吾さんの知っているどうしょもない男に恋した女の子がいたようで

その子を見ていて書いた曲だそうです。

「女の子って誰かを好きになると周りが見えなくなって

もっといい人に出会うチャンスあると思うのに、全部閉ざしちゃう。

振り向いたら、本当に、その子のことを愛してくれて

大切にしてくれる人がいるのになぁ~」

っと感じることが身近にあったようで書き始めたそうでした。

 

もうひとつの土曜日

もうひとつの土曜日

  • 浜田 省吾
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

そこからジワリジワリと、省吾さんのファンが増えつつあったんですけど

それらのシングルも収録した、このアルバム「J・BOY」

そんな風に注目を集める要素が

ふんだんに取り入れられているアルバムになっていたりしました。

 

構成としては、前回のアルバム「DOWN BY THE MAINSTREET」に登場してきた

少年少女たちが、その後どうなったか?を

描いているアルバムでもあるんですけれどね。

 

そして、このアルバムに関する

ちょっとしたエピソードがあるんですけれど

このアルバムのトラックダウンを、初めて聞いた人というのが

尾崎豊さんだったようでした。

尾崎豊さんについて、省吾さんは↓こんな風に語っています。

 

 

’83年の初めか前の年の終わりか、僕の運転する車の隣に座っていたディレクターの須藤君が

「今18歳の面白い男の子を見つけたんだよ」って言ったんです。

「へぇ~どんな子?」って言ったら

「浜田や井上陽水・佐野元春君とか

日本のロックやポップミュージシャンの影響を受けて出てきた最初の感じなんだ」って。

それから1年くらいしてですね。彼が登場したのは。

’84年の❝アトミックカフェ❞

僕たちはリハーサルをやってて、どこかに行ってたのかな。

戻ったら「尾崎君が飛び降りて足を骨折した」って。

現場は見てないですけど、花を贈ったんです。

そしたら看護婦さん達から「何で浜田省吾を知ってるんだ?」って言われて喜んでたと聞いて、可愛い子だなと思った(笑)

 

その後、’86年に『J・BOY』のトラックダウンをロスで終えて、ニューヨークで彼と会ったんですね。

そしたら『J・BOY』を「このアルバムって、僕のことを歌ってるみたいだ」って言ってたの。

だから「そうだよ。君のことだよ」って答えたのを凄く覚えてる。

『J・BOY』の完成したトラックダウンを、最初に聞いたのは彼だったんですね。

 

著書「浜田省吾事典」より

 

 

無邪気に喜ぶ尾崎豊さんも可愛いなっと思いますけれど

尾崎豊さんも感じたように、このアルバムは

誰もが自分のことを歌っているようにも感じられるアルバムでもあります。

 

それは、日本人だからこそ伝わる気持ち、抱えてるジレンマ・疑問

そこに描かれているからなのかもしれないと思うんですけれどね。

 

 

そして、このアルバムの要になっている曲というのが

アルバムタイトルにもなっている「J・BOY」という曲でした。

 

当時、日本はバブルの時代に突入して

大金が手に入れられやすい時代でもありました。

なので、続々と青年実業家なども出没してきて(笑)

胡散臭い商売を始めては、それが成功してしまい

社会全体が、お金の使い方まで

麻痺するようになっていった時代でもありました。

 

そして、お金に糸目をつけない男性陣も増えたので

それを利用して、女性陣などは、そんな男性陣を

「アッシー君」やら「メッシー君」などと名付けて

都合よく使うことが、まかり通る世の中にもなっていました。

 

そんな世の中の動きを見ていて

省吾さんは冷ややかな目で「何か違う」っと違和感を感じていたようです

「バブルに踊らされて、我を見失っている日本人」

 

でも、そんなお祭り騒ぎをしている舞台裏には

必ず犠牲を負っている人々もいて

足掻き苦しんでいる人もいる。

そんな人々に向けて作った曲が「J・BOY」でした。

 

ライブでも、必ず歌ってくれる曲です(*^^*)

 

 

果てしなく続く生存競争(サバイバルレース)走り疲れ

家庭も仕事も投げ出し 逝ったあいつ

Ho…そして俺は心の空白埋めようと

山のような仕事かかえ しのいでる

 

J・BOY 頼りなく豊かな この国に

J・BOY 何を賭け 何を夢見よう

J・BOY…

I'm a J.BOY

 

J・BOY 打ち砕け 日常ってやつを

J・BOY 乗り越えろ もう悲しみってやつを

J・BOY 受け止めろ 孤独ってやつを

J・BOY 吹き飛ばせ その虚しさってやつを

J・BOY

J・BOY

 

 

J.BOY

J.BOY

  • 浜田 省吾
  • ロック
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次に着目したい曲は「A NEW STYLE WAR」

 

この曲は、戦争の形態というのは

時代の移り変わりと共に変わっていっていて

新しい形の戦争が始まっている

直感的に省吾さんが感じて作った曲でした。

 

争いの仕掛け方が

テロやサイバー兵器・生物兵器へと形が変わっていっているだけで

根本的に戦争というのは終わっていないという。

戦後の世界情勢を見ていても

この時、省吾さんがいわんとしていたことが納得できます。

 

そういう現実をね。どう受け止めるか?っと

問題定義している曲だったりするんですよね。

  

 

地下から地下へ運ばれた爆発物(BOMB)

国家に養われたテロリスト

成層圏に軍事衛星(MILITARY SATELLITE)

It's A NEW STYLE WAR

 

飽食の北を支えてる

飢えた南の痩せた土地

払うべき代償は高く

いつか A NEW STYLE WAR

 

貧困は差別へと 怒りは暴力へと

受け入れるか?立ち向かうか?

どこへも逃げ出す場所はない

It's A NEW STYLE WAR

 

愛は時に あまりに脆く

自由はシステムに組み込まれ

正義はバランスで計られ

It's A NEW STYLE WAR

 

  

A NEW STYLE WAR

A NEW STYLE WAR

  • 浜田 省吾
  • ロック
  • ¥250
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そして、原爆投下された広島という町に生まれ育ち

父親が被爆者でもあり

ある意味、省吾さんは被害者側の立場であるにも拘らず

「かつて日本も加害者だったのに、それを償えてきたのか?」

っと問いている曲があり

「八月の歌」という曲なんですけれど

個人的に衝撃的な曲だったんですよ。

 

それまで日本は被害者だとばかり思い込んできてたのでね。

この曲を聞いたことによって

捉え方が少し変わったというのか…。

 

日本は戦後、マッカーサーが民主化の方向に導いてくれて

高度経済成長もできたので

アメリカという国に対して

憧れも抱けるようになったのかもしれないと思うとね。

日本は攻撃や占領してきた国に対して

どんなフォローをしてこれたのかな?

っと思えてきたりしてね。

 

 

砂浜で戯れてる 焼けた肌の女の子たち

俺は修理車を工場へ 運んで渋滞の中

TVじゃ この国 豊だと悩んでる

だけど 俺の暮らしは 何も変わらない

 

今日も Hard rain is fallin'

心に Hard rain is fallin'

意味もなく年老いてく

報われず裏切られ

何ひとつ誇りも持てないまま

 

 

八月になるたびに ❝広島❞ の名のもとに

平和を唱える この国アジアに何を償ってきた?

俺達が組み立てた車がアジアの

どこかの街角で 焼かれるニュースを見た

 

今日も Hard rain is fallin'

心に Hard rain is fallin'

子供らの肩をうつ

飢えてゆく すさんでゆく

明日への希望など持てないまま

 

満たされぬ想い この空回りの怒り

八月の朝は ひどく悲しすぎる

No winner No loser ゴールなき闘いに

Mad love Desire 狂気が発火する

暑さのせいさ 暑さのせいさ

 

 

八月の歌

八月の歌

  • 浜田 省吾
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あとはね。

私は経験したことないですけど

学生運動が盛んだった時代の切ない気持ちを歌った曲「遠くへ」

 

歌詞に出てくる

赤いヘルメットだとか、紺のヘルメットだとか

私は、ニュースでしか知らない世界なんですけど

この曲を聞いていると、その光景が目に浮かんできて

やたら、切ない想いに駆られたんです。

 

学生が政治に対して熱くなれた時代で

この国を変えようと思えたのって凄いなっと思うんですけど

その分、傷を負うことも多かっただろうと思うと

複雑な気持ちになるというのか…。

 

 

 

紺と銀色の盾の前で

空を仰いで祈り続けた

❝神よ僕らに 力をかして

でなけりゃ 今にも倒れてしまいそう❞

 

振り向くと遠くに あの娘の眼差し

笑っているのか?泣き出しそうなのか?

違う違う こんな風に僕は

打ちのめされるために

生きてきたわけじゃない

 

遠くへ遠くへと願った日々

真っ直ぐに見ておくれ

僕は泣いてる 君のために

 

❝星がひとつ 空から降りてきて

あなたの道を照らすのよ❞と

話してくれた きっとそうだね

いつまでたっても 石ころじゃないさ

 

 

遠くへ - 1973年・春・20才

遠くへ - 1973年・春・20才

  • 浜田 省吾
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このアルバムの収録曲は…。

  1. A NEW STYLE WAR
  2. BIG BOY BLUES
  3. AMERICA
  4. 想い出のファイヤー・ストーム
  5. 悲しみの岸辺
  6. 勝利への道
  7. 晩夏の鐘
  8. A RICH MAN'S GIRL
  9. LONELY~愛という約束事
  10. もうひとつの土曜日
  11. 19のままさ
  12. 遠くへ~1973年・春・20才
  13. 路地裏の少年
  14. 八月の歌
  15. こんな夜はI MISS YOU
  16. SWEET LITTLE DARIN'
  17. J・BOY
  18. 滑走路~夕景

 

このアルバムの中で、私が好きな曲は…。

  • A NEW STYLE WAR
  • BIG BOY BLUES
  • AMERICA
  • 悲しみの岸辺
  • 勝利への道
  • LONELY~愛という約束事
  • もうひとつの土曜日
  • 19のままさ
  • 遠くへ~1973年・春・20才
  • 路地裏の少年
  • 八月の歌
  • こんな夜はI MISS YOU
  • SWEET LITTLE DARIN'
  • J・BOY 

 

BIG BOY BLUES

BIG BOY BLUES

  • 浜田 省吾
  • ロック
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AMERICA

AMERICA

  • 浜田 省吾
  • ロック
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19のままさ

19のままさ

  • 浜田 省吾
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LONELY -愛という約束事

LONELY -愛という約束事

  • 浜田 省吾
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そして、このアルバムについて、省吾さんはこんな風に語っています。

 

 

『DOWN BY THE MAINSTREET』で小さな工場都市で少年像を描いた。

それはまさしく自分自身に重なるんですけど

その少年達が、その後どうなったかというのが『J・BOY』なんですね。

最初は2枚組にするつもりはなかったんですけど

少しずつ曲を作っていくうちに、どんどん多くなってきて

かなり出来た段階で『J・BOY』というものの焦点が合ってきたんです。

街に出たり、大学生になったり、社会人になったりして。

その中で、どうしても「路地裏の少年」が必要だったし。

「遠くへ」とか「19のままさ」は「路地裏の少年」を作っていた時期の曲なんです。

当時は学生運動のことをテーマにしていたから、あまりにヘビーで入れられないということで置いてあったんだけど、ラインナップして入れてみた時に、全部がフィットして結果的に2枚組になったんですね。

初めてのチャート1位なんですね。

それも4週~5週間、ずっと1位だった。

チャートというのは相対的なものだけど、初めて1位をとったというのは、やっぱり嬉しかったですよね。

(中略)

広島ってマツダの東洋工業があるんです。

人工の60%ぐらいは、その自動車産業に携わっているんですよ。

そして車はどんどんアメリカや東南アジアに輸出されるわけですね。

で、広島でしょう。

原水禁とか原水協というのがあって、毎年8月6日に広島の祈念式典をやると、いつもグシャグシャになるんです。

必ず被害者の立場で原爆を落とされた記念の街、広島から世界に平和を訴えようと。

それは悪いことじゃないけど、なんか凄く違う視点で僕は育ってきたんです。

それは「八月の歌」1曲にしか出てこないんだけど。

僕の中では、ある種の核になってます。

あの歌の主人公は、ほとんどの人のイメージは、若い整備士のようなイメージでしょうけど、違うんですよ。

僕の中では親父と同じくらいの年老いた整備士なんです。

それで、自分達が戦後がむしゃらに働いてきてやってきたことは、何だったんだろう?っというものなんです。

 

著書「浜田省吾事典」より

 

 

ソロデビュー時代に作っておいてあった曲を

ここにきて、やっとお披露目できたというのも感慨深いものがありますよね。

10年くらいかかってる!

出来た作品は、すぐ発表したいような気もするんですけれど

やはり、歌というものにも、発表するタイミングってあるんでしょうね。

 

でも、不思議と、10年も前に作った曲が

新たに生み出した曲と同化していて、違和感なく聞けるんですから

まさに「J・BOY」というアルバムのテーマが

前回のアルバムに出てきた少年達が

街から出て行き、社会に出た後の現実世界だったりするからなんでしょうね。

 

初のチャート1位を獲得したことで

知名度も人気度も上がってしまい(^▽^;)

ホント、チケットが取にくくなってしまったのが困りものでしたが…。

 

この後に続く次なるアルバムは

省吾さんのお父様が他界されたということもあり

父の息子というテーマで、新たな視点で楽曲を生み出していくのでした。

 

そのお話については、次回に続きます(*^_^*)

 

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